時の物語:時計作りに物語を織り込む
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時計職人にとって、作業台が私たちの世界の大部分を占めるのが常です。ネジ、ブリッジ、歯車と対話し、最終的にはコレクターの方々と話をします。しかし、政治家の方々と直接お話する機会は滅多にありません。
Kisuiでのソロデビューから1週間後、私は特別な栄誉を受けました。それは、在日フィリピン大使館がセントロ・リサール東京を通じて主催したイベントで、「 時間の物語:時計作りに織り込む物語」と題する講演を行うというものでした。
異色のステージ
Kisui が静かなつながりを作るためのものであったとすれば、このイベントは私の旅の正式な記録と私の母国であるフィリピンの時計製造の歴史を共有することに関するものでした。
外交団、フィリピン人コミュニティの人々、そして日本の来賓の前に立った時、私は自分の役割が変化したことに気づきました。私は単なるアーティスト、フランシスコ・モレノではなく、成長を続ける運動の代表者になったのです。
大使館は、東京ではなかなか見られないフィリピンの一面、すなわち精密さ、歴史、そして職人技について議論する場を提供しました。クリスチャン・L・デ・ジェズス臨時代理大使とご一緒し、ミレーヌ・ガルシア=アルバノ大使の支援を受けることができたのは光栄でした。
デザインの対話:間と職人
私のプレゼンテーションでは、マニラでのイバラ・ウォッチの創業から東京でのモレノ・ウォッチ・スタジオの設立までの私のキャリアのタイムラインをたどりました。
私は日本で過ごした時間が、私の現在の仕事を定義する2つの概念を通して、私の哲学をどのように変えたかについて長々と話しました。
まず「間」 (ネガティブスペース)です。これは、 Kaminariのすっきりとした慎重なラインに影響を与えた、沈黙と引き算の規律です。
二つ目は、おそらく私にとって最も個人的な意味を持つ「職人」の精神です。これは私の一番好きな日本語で、しばしば「職人」と訳されますが、実際にはもっと多くの意味を持っています。それは、利益や称賛のためではなく、職人技そのもののために、最善を尽くすという決意、完璧さへの飽くなき追求を意味します。この「職人」の精神を身につけたことは、東京での私の人生において最も大きな転機となりました。
工芸を通じた外交
「時間の物語」イベントは、2022年にここに引っ越してきてから私が抱いてきた信念を強固なものにしました。それは、芸術は最も誠実な外交の形であるという信念です。
美しく耐久性のあるものを創造する時、私たちは既存の概念に挑戦します。フィリピンの才能は、マニラの賑やかな街並みと同じくらい、東京の静かなアトリエにもふさわしいものであることを私たちは示します。
セントロ・リサールからの支援は単なる称賛ではありませんでした。それは、フィリピンの時計メーカーが世界の舞台で達成できる限界を押し広げ続けるという使命だったのです。